”疾走の馬、青嶺の魂となり”
ご存知、”黒い刺客”ライスシャワーの墓石碑に彫られている文字です。
私が競馬を見るキッカケになった馬はトウカイテイオーですが、
競馬に嵌るキッカケとなった馬がこのライスシャワーです。
未だに一番好きな馬でもあります。
ライスシャワーを特に注目して見始めたのがダービーでした。
そして最後の宝塚記念まで常に追いかけました。
また最後となった宝塚記念は私、どうしても抜けることの出来ない用事がありまして、
ビデオテープでレースを録画したのです。後にも先にもGIを記念用にビデオで録画したのは
あの1回だけです。
秋天の1ヶ月前までは京都競馬場まで行く予定でした。これが私の競馬としての最大の後悔です。
残念でなりません。
ところで最近、競馬を知った方のなかにはライスシャワーなんて知らないという人も
いると思います。では私が簡単にですが語ります。
この馬は、関西の刺客、黒い刺客、壊し屋、稀代のステイヤーと色々呼ばれてきました。
現在でも熱狂的な固定のファンがいる珍しい馬です。
しかし、刺客とはまた物騒な呼び名ですよね。
実は、これには意味があります。
競馬漫画家の先駆け「よしだみほ」さんはこの馬をこう表現していました「レコードブレイカー」と。
つまり「記録を破る人(馬ですが)」です。
これだけ聞くとスポーツマンの憧れのように見えますが、実はかなり違う。
記録を作るのは自分ではないのです。
分かりやすく言うと、他人(他馬)の偉大な記録誕生をブレイクするのです。
そしてこの馬の凄い所は、なんと競馬史上に残る記録を2回も破ってのけたのです。
要は単なる嫌われ者ということですね。
事は、ライスシャワー4歳のダービーから始まります。
18頭中16番人気。当然私も完全ノーマークです。
調度この世代にはかの有名なミホノブルボンという無茶苦茶強い馬がいました。
新潟3歳ステークス11着、皐月賞8着、NHK杯8着のライスシャワーなんて誰も気にも
していません。そのライスが先行なんとか粘りこみなんと2着。表舞台に出た瞬間でした。
まあ当然観客の誰もが3万馬券を作った張本人ライスをフロック視(マグレだと思うこと)
していました。そしてミホノブルボンは驚異的な強さで2冠馬になっていました。
ところが夏にどう言う訳か馬が変わってしまいました。
セントライト記念2着。そして菊花賞トライアル京都新聞杯でもミホノブルボンの2着。
段々とブルボンとの差が詰まって来ています。
ここにきてようやくブルボンの陣営も注目するようになったようです。
そして迎えた菊花賞。このレースはミホノブルボンの史上5頭目の3冠達成という記録が
かかっていました。そして誰もがその3冠を疑わなかったことでしょう。
ブルボンには4代目3冠馬皇帝ルドルフ(シンボリルドルフ)の後を継ぐ能力は
十分にありました。
なにせここまで無敗ですから。
しかし。そこには恐るべき落とし穴がありました。
そう。まさかのライスシャワーのステイヤー(長距離)適性。
ステイヤーに関してはこの馬、普通の馬のレベルをはるかに超えていたのです。
ゴール前、悠然と3冠に向う王者ブルボンの後ろからなにやら黒い影が迫って、
瞬く間に交わしてしまったのです。
結果、ブルボンまさかの3冠ならずの2着。
3冠当然とわざわざ京都まで遠出をしてきた人たちでごった返す場内が
異様な空気に包まれ、そして一部からブーイング。
後に「競馬最強の法則」という雑誌は、この日のことを「日本が一番しらけた日」と掲載しました。
まずこれがレコードブレイク記念すべき1回目です。
そして、半年が経ち5歳の春。嫌われ者は春天(天皇賞春)に出走することになりました。
春天は3200mのもっとも長距離GIです。
この時期は、菊のブルボンに負けず劣らない恐ろしく強い馬がステイヤー界にはいました。
競馬知らない人でも聞いたことはあると思います。
その名もメジロマックイーンと武豊。
なんと2年連続、天皇賞春制覇。そして3年連続をかけて大勝負に来ていました。
当然3年連続同一GI制覇なんてJRA始まって以来の大事です。
これは競馬人気にも拍車をかけることが出来るほどの一戦。
しかもマックイーンに衰えはまったくない。未だ全盛期を思わせるような強さです。
まあ今回はさすがにライスもおとなしいだろうと言うのが大方の予想です。
いやマックイーンがステイヤーで負ける姿なんて誰も予想していませんし、
期待していませんでした。
が! またやってしまったのです。
直線見事な差し切り。あのマックイーンを2着に追いやってしまったのです。
またしてもレコードブレイク。
ここで杉本清さんの実況も後押しし、「刺客」という言葉が植え付けられました。
また、ライスのコンビ、的場均騎手も燻し銀。何事ににも動じずせっせと自分の仕事を
こなすまさに口数の少ない職人。しかも当日は2枠の黒色。
これで「黒い刺客」となったのです。
以上が、「レコードブライカー」ライスシャワーの半生であり黄金期です。
そしてこの後、またしても期待を裏切るスランプに陥ります。
あのマックイーン、ブルボンに勝った馬が、
オールカマ−で3着、秋天で6着、JCで14着、有馬記念で8着。
年が明けても京都記念で5着、かなり格下の日経賞ですら勝てない2着。
挙句の果てこの後、骨折。
なんと9ヶ月も戦線離脱することになり、
「これほど期待を裏切られた馬は初めてだ」と言われるようになります。
復帰後、最初の有馬記念でナリタブライアンの3着。
これでみんなよし復活した!と思ったのもつかの間・・・・・・
京都記念では1番人気6着、去年よりもさらに格下相手の日経賞では1番人気6着・・・・・・・・・
もう完全に沈黙していました。
そして迎えた次のレース、平成7年天皇賞春。3200m。
もう以前とは違った意味で誰もが期待していなかったこのレース、
天皇賞春で5歳の天皇賞春勝利から勝ち星が無かったこの馬はやってくれました。
奇跡の1着。もう本当にきわどい判定でしたが1着はライスシャワーでした。
2年ぶりの勝利。それもGIでです。
いつも期待を裏切り続ける馬が今度は嬉しい期待はずれとなりました。
この頃になると、ライスシャワーのこのキャラクター自体にも人気が出てきました。
次の宝塚記念の人気投票ではなんと1位。
当日単勝3番人気なのに、ファン投票の人気では1位。という珍しいケースでした。
この年、平成7年はあの淡路・阪神大震災があった年です。
本来、阪神競馬場で開催するはずだったレースも競馬場自体が使用不能になり
急遽京都競馬場に移されることになりました。
よって宝塚記念も京都で開催されることになりました。
ここでライスの勝ったGIを見てみると
菊花賞、春天2回。の計3回いずれもなんと京都競馬場です。
ただいずれも3000m以上の長距離です。
そこでライス陣営も今後種牡馬になった時のために中距離で勝ったという実績が欲しかった。
ここにライスシャワー宝塚記念出走が決まりました。
得意の京都でもありますし、勝てると見込んでの挑戦です。
GI3勝もしていればこのレース、2着や3着でも十分種牡馬の価値向上になります。
宝塚記念の結末は、ライスシャワーが伝説になった経緯からおそらく察しがつくと思います。
そう私が録画したビデオテープに写っている内容です。
淀の魔の第3コーナー。転倒・・・・
地面に叩きつけられて身動きすらしない的場均騎手。
そして立とうとしては転がる無残な姿のライスシャワー。
そして安楽死処分。
常に競馬ファンの予想を裏切り続けた馬は、予想もしない裏切り方で競走馬として
天命を全うしました。
その後、京都競馬場の馬頭観音の横に
京都競馬場と常に縁があったライスシャワーの石碑があります。
そこにはこのような追悼の句が刻まれています。
「疾走の馬、青嶺の魂となり。」

ライスシャワー石碑 in京都競馬場
2002年第125回天皇賞春の日に撮影
(写真をクリックしたら、大きい画像が見れます)
TOPへ戻る